ミニマリストの合理化は無駄の楽しさと対立する??
ミニマリストである僕がモノを減らして生活していると、
「合理化ばっかして楽しいの?無駄を楽しめないの?」と批判的なご意見を頂くことがあります。
メディアでも数年前からブームになったミニマリストに対して、特に新しい考えを否定したがる年配の人が「無駄を楽しめないなんて、つまらない奴だ!」とおっしゃっていることが多いです。
今回はミニマリストの合理化 VS 無駄について、僕なりの考え方をお話します!
① 合理化と無駄は対立しない
合理化 VS 無駄と書きましたが、僕はそもそも両者は対立しないと考えています。
反合理化主義の人の考えと、yuha的合理主義の比較をしてみましょう。
僕は時間の過ごし方を以下の3つの要素に分けて考えています。
- 遊び ⇒ 趣味など自分がやりたいこと
- 作業 ⇒ 仕事や家事
- 休み ⇒ 休憩や睡眠
この3つの要素で、反合理主義とyuha的合理主義の合理化に対する考え方を比べてみます。
・反合理化主義
冒頭でお話した通り、反合理主義者は「無駄を楽しめないなんて、つまらない奴だ!」と考えております。僕もその意見には賛成です。
「楽しむ無駄」とは、上記の円グラフでいう「遊び」です。
「遊び」は「作業」のように、お金を稼げたり、生活に必要なものではありません。
反合理主義者は合理化すると、この「遊び」を削ってしまうと考えていると思います。
「遊び」が無くなると、「作業」と「休み」しかなくなるので、そりゃつまらないですよね。
・yuha的合理主義
僕の合理化の考え方は、「作業」という楽しくない時間を減らし、「遊び」という楽しい時間を増やすというものです。
つまり、僕が考える無駄とは、「楽しい無駄」である遊びのことではなく、効率化されていない作業のことです。
そのため合理化と楽しい無駄は対立しません。
yuha的合理主義の目的は作業の最小化と遊びの最大化です。
反合理主義者の考える合理化、つまり遊びの最小化と正反対ということがわかると思います。
反合理主義者の問題点は、自分がやりたくないことを減らす(残業の削減、家事の負担軽減)という考えに至っていないことだと思います。
僕は大好きな遊びのために、いかに作業を減らすかということを常に考えています。
これが僕が合理化を進める理由です。
② 健全なミニマリズムとは
ミニマリズムのメリットは、時間とお金に余裕ができることだと思います。
ミニマライズして余裕ができても、その時間とお金を何に使うか?という目的がないと意味がないと思います。
ここでいう目的とは、①で話した時間の3要素の「遊び」に該当します。
遊びという自分のやりたいことがないと、ミニマライズして時間に余裕ができても、ただの暇人になります。
そしてなんとなく暇を潰したりしてしまい、結局人生を楽しめません。
自分にとって大切な遊びは何か。それが明確にわかっていることが健全なミニマリズムだと思います。
③ まとめ
ミニマリストとくくってしまうと、どうもストイックで潔癖なイメージが持たれやすいですが、結局僕は楽しい時間を増やしたいだけです。
楽しい時間を増やすのに、ミニマリスト的考え方は割と役に立つものが多いので、自分にあったピースを集めてみるといいですよ!